森田ゆり 月刊「部落解放」2018年9月号:多様性の今 14 より転載 第二波フェミニズムの大衆的広がり:1985年国連世界女性会議第二回ナイロビ大会 33年前、1985年国連世界女性会議第二回ナイロビ大会に、私はアメリカのフェミニストとして参加した。この世界女性会議は、戦後40年をへた第二波フェミニズムの大衆的広がりの一つの大きな頂点となった。 当時住んでいたカリフォルニアからケニア・ナイロビはちょうど地球の反対側。2日間の長旅の末、ナイロビのホテルに到着した途端に、世界から集まったフェミニスト達を団結させた驚きの出来事が展開した。 会議の開始2日前になって、各国政府代表団のホテルが足りなくなっているので、NGO/NPOの人たちは、予約を明け渡して欲しいという通達をケニア政府が出したのだ。 NGO/NPOの私たちは、この差別的な対応に驚き、怒り、即座にホテルごとに集まり、情報を共有し合い、抗議声明を出し、他のホテルの人々と連携してケニア政府にプレッシャーをかけた。 この間のフェミニスト達の速戦力は見事だった。特にフィリピンの女性達のリーダーシップの力強さを目の当たりにして、感心したことを記憶している。 ちなみにその数日後の大会中、日本のある女性グループのワークショップを傍聴したら、日本のフェミニストはアジア諸国の女性達をリードし、エンパワーしていると言った趣旨の発表をしていたので、苦笑してしまった。 今、自分たちに降りかかった差別に対して、即座に世界から集まった女性達を組織することに貢献していたフィリピンの女性たちほどの指導力を示した日本からの参加者は一人として見かけなかったからだ。 会議の開始第一日目には、また別の予期せぬアクションが展開した。大会はナイロビ大学のキャンパスで開催されたが、レスビアンをテーマにしたワークショプが教室から排除されたのだ。ナイロビ政府の意向だった。レスビアンである無しに関わらず、怒ったフェミニスト達は、抗議集会を開き、中庭でのワークショップをゲリラ的に開催した。 また別の中庭の大きな木の下には、たくさんの人が集まっていた。中心でスピーチをしていたのは64歳のベティ・フリーダンだった。戦後のフェミニズム勃興に多大な影響力を持ったフェニスト理論家である。 彼女の”The Feminine Mystique”(邦訳「新しい女性の創造」)は、20世紀の最も影響力のある著作の一冊とされ、世界中のベストセラーとなった。家事労働/主婦の役割を問い、「個人的なことは政治的である」の理論と方法は,中産階級の主婦層にも浸透し、第二派フェミニズムの理念的・運動的潮流を築いた。彼女は1966年に全米女性組織NOWを結成し、初代会長に就任した。 「男性は敵ではない。彼らもまた犠牲者なのだから。本当の敵は自分たち自身をおとしめ、卑下する女性達だ。」とはフリーダンの有名な言葉である。 フリーダンはNOWの結成初期の頃はフェニスズムが誤解されることを恐れて、レスビアンの参加を「ラベンダーの脅威」と呼んで拒んだが、レスビアニズム活動家からの抗議にあって、1970年にはすでに和解していた。 性暴力の告発 1885年のナイロビ大会で私たちはCAP(子どもへの暴力防止プログラム)を伝えるワークショップを行った。CAPは1978年にオハイオ州コロンバス市のフェミニスト団体、レイプ救援センターが開発した。その開発者の一人のサリー・クーパーと私は、CAPを初めてアメリカ国外に紹介する大役を負って大会に参加した。 CAPは、いじめ、誘拐、性暴力など、あらゆる暴力から子ども自身が身を守る防止プログラムで、その思想の中心に子どもの人権とエンパワメントを据えている点も含めて、フェミニスト運動が生み出した歴史的な傑作といえる。 1985年の段階では、性暴力はまだ国際会議の中心課題とはなっておらず、性暴力関連のワークショップの数も少なかった。とりわけ子どもに対する性暴力をテーマにしたものは私たち以外にはなかった。会場は参加者が溢れて、椅子や机を廊下に出して床に座っても一寸の隙間もないほどぎゅうぎゅう詰めになった。 サリーと私は机の上に立ってスピーチをした。この大会は性暴力告発の世界での曙(あけぼの)となったが、女性•子どもへの性暴力が重要課題となるのは、その10年後、1995年の第三回世界女性会議北京大会を待たねばならなかった。 アニタ・ヒル証言: セクシュアルハラスメントへの取り組みが広がる 1991年 1991年10月。35歳のオクラホマ大学法学部の教授だったアニタ・ヒルが、かつての上司、クラレンス・トーマスからのセクシャルハラスメントを連邦議会で訴えた。 トーマスは当時のブッシュ(シニア)大統領から最高裁判事の指名を受けていた。アメリカでは最高裁判事は上院議会が審理し投票で採決する。その上院公聴会審理でアニタ・ヒルはトーマスからの執拗な被害を証言した。 最高裁判事は終身地位なので、保守派がなるか革新派がなるかは、アメリカ社会に決定的な影響を与える。トーマスが米国史上2番目の黒人候補であったこと、そして保守的な人物であったことで、この出来事は高度に政治的な意味合いを持つことになった。公聴会は全米に連日TV生放映された。 その当時、カリフォルニア大学のダイバーシティ主任研究員として、大学教職員のセクシュアル・ハラスメント予防研修を担当していた私は、仕事としてそのTV生中継を何時間も見ることになった。 共和党議員によるアニタ・ヒルに向けた露骨な性描写や人格批判は、それこそがセクハラにほかならないひどいものもあったが、ヒルはよくそれに耐えた。トーマスは一貫して無実を主張し、結局彼は上院の採決で最高裁判事として承認された。以降今日に至るまで9人の裁判官の1票として保守的な最高裁判決を下す役割を担ってきた。 この事件以降、多くの大学や企業が職場内のセクシュアル・ハラスメント研修を義務付けるようになった。先行してセクハラ研修の開発に取り組んでいた私たちは、他大学にも教えに行くようになった。それから約4世紀半後の2015年にHBOのテレビ映画「コンファメーション(原題) /Confirmation」でこの事件が映画化された。 沈黙をやぶって 日本1992年 1992年に私は「沈黙をやぶって」を出版して、子ども時代の性暴力の被害者の声を日本で初めて公にした。そして次のように呼びかけた。 「人生のネガティブな汚点でしかなかったその体験は、それを語り意識化しようとするプロセスの中で、その人の強さの拠り所となり、その人の存在の核ともなる。語り始めること、いまだ存在しない言葉を捜しながら、たどたどしくも語り始めること。語ることで出会いが生まれ、自分の輝きを信じたい人たちのいのちに連なるネットワークができていくことでしょう。ひとたび沈黙をやぶったその声を広く、日本の社会いたるところに響き渡らせていく大きな流れのムーブメントの担い手に、あなたも加わりませんか。」(「沈黙をやぶって」森田ゆり著 1992年築地書館) 刊行後、「実は私も・・」と誰にも言えないできた子ども時代の記憶を語る何百通もの手紙が届いた。 あれから四半世紀、多くのサバイバーが、「ささやき声で、泣き声で、叫び声で、怒りの声で、長かった夜の無言(しじま)を突き破り」(前掲書)性暴力を沈黙の闇の中から、昼の陽光のもとに引き出していった。 そして昨年2017年。強姦罪の110年ぶりの改正が実現した。しかし被害者を苦しめる最大の要因だった強制、脅迫要件に関しては、議論されることすらなく、据え置きとなった。 子どもへの性暴力に関しては、18歳未満の子どもを現に監護する者が性交などをした場合に、暴行や脅迫がなくても適用される「監護者性交等罪」と「監護者わいせつ罪」が新設された。 時を同じくして、安倍首相のお抱えジャーナリストとも見なされている元TBS記者山口敬之からレイプされたことを訴えて、実名顔出しで記者会見を開いた勇気あるサバイバー、伊藤詩織さんが登場した。 彼女の日本の性暴力の状況を変えるという強いミッションにもとづく行動は、SNSで世界中を駆け巡り、日本のみならず他の国々からも多くの共感と支持が巻き起こった。 2017年はこの二つの出来事ゆえに、日本の性暴力の歴史におけるエポックメイキングとなった。私たちは新しい時代に入ったのである。 ちなみに英国BBSは「日本の秘められた恥」とのタイトルで詩織さんを取り上げた約1時間のドキュメンタリーを2018年6月に放映した。 ミレニアル世代のフェミニズム ミレニアル世代とは、2000年代になってから成人になった20歳から35歳ぐらいの人々をさす。子どもの頃からデジタル、スマホ、SNSに触れていることから、新しい働き方や価値観を体現していると言われている。詩織さん(29歳)もこの世代に属す。 私の3人の子どもたちもミレニアル世代だ。特に娘、純スティンソンは34歳で、この世代の中核年齢であり、ドキュメンタリー独立映画監督として,またアルジャジーラFBニュースのプロヂューサーとして、その作品はフェミニストとしてのエンパワメントの視点を失わない。 ミレニアル世代のフェミニストの特徴を、娘と一緒に検証してみたら、以下のような特徴が抽出された。 1. ビヨンセ、マドンナ、アデル、エマ・ワトソン、アンジェリーナ・ジョリー、ケイティ・ペリー、スカーレット・ヨハンソン、プッシー・ライオット等々のスーパーセレブ達が、この世代のフェミニズムのインスピレーションであり、リーダーである。運動のリーダーは学者ではなく、弁護士や国会議員ではなく、人気を博すロックやパンクのシンガーや女優達だ。 2. フェニストとしての主張をSNSで発信している。・・・
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