メールマガジン78号の写真
メールマガジン78号の写真 2014年7月25日 カリフォルニアは毎日、雲一つない真っ青な空がひろがっていて、乾いた陽光がシャワーのように降り注ぎ、とても気持ちよい。裏庭は木が多く少しひんやりしている。毎朝裏庭の木に囲まれて、ヨガをしながら、朝日を迎える。ハワイの祈り、エアラエ!(朝日よ!)をチャントしながら。 5月の末に、ハワイを出て、カリフォルニアの自宅で暮らし始めた。17年前に思い切ってカリフォルニア大学を辞任し、この家から西宮の関西学院大学構内の古くて大きな西洋館に引越しした日のことが、つい先月のことのように思い出される。 この庭に有機野菜を育てることがこの夏の目標だ。 オレンジやレモン、ビワは17年前も同じように見事な実をつけていた。プラムの木は毎年赤い実がたわわになって、取りきれなくて鳥とリスに食べてもらっていたのに、木が病気になったようで、半分枯れてしまった。プラムジュースを作って飲むのを楽しみにしていたのに。 有機の土をぼかしで作って、畑を作り、トマト、なす、ピーマン、小松菜、ズキーニ、カボチャ、いちご、そして8種類のハーブを植えた。2か月間で、それぞれしっかり成長してくれて、毎朝、庭をまわり「おはよう」とあいさつするのが日課となった。 表庭は芝をはがして、カリフォルニアネイティブの野花の種をたくさん蒔き、コスモスの苗を植えた。2か月でコスモスはぐんぐん成長して、大輪のピンクの花をさかせて揺れている。 俳人でもあった父はコスモスが好きで、彼の晩年の句を思い出した。 「残る日々 合掌一筋 秋桜」 17年間で変わったことといえば、この街オークランドの犯罪多発地区にも都市農場がいくつもできたこと。空地や庭で野菜を作る人口がだいぶ増えたようだ。 BBQパーティーもかつてのように肉をジュージューというより、大きなズキー二の厚切りやアスパラのオリーブ油漬け、マッシュルームのチーズ焼きなどが好まれる。 そういえば、先日、娘夫婦と一緒にした裏庭でのBBQパーティーで、ちらし寿司を作ったら、友人たちが「ライスサラダ、最高!」といって大喜び。大きな皿に二つも作ったのに、すぐになくなってしまった。ちらし寿司をライスサラダと呼んだアメリカ人の親友のネーミングが新鮮だった。 我が家とのなじみを取り戻しながら、同時に昔の友人たちとも17年の歳月がたったことが信じられないくらい、すんなりと友情を復活させている。 その一人は、アメリカン・インディアンのキャロル・ワペパ。付き合いは34年になる。オークランドの貧困地域のただなかで、都市インディアンの若者たちの集まる場所、「サバイバルスクール」を開いていたインディアン・リーダー、故ビル・ワペパの妻だ。 彼女は今、NPOインター・トライバル・ハウス(都市インディアンのコミュニティ活動団体)のディレクターとして大活躍している。 「ゆり、毎週木曜日は、ドラムと踊りのクラスとコミュニティーディナーだから、来て」とメールが来る。「ゆり、有機野菜ガーデンのボランティアに来ない?」と次々と誘ってくれる。 キャロルも私も同年齢の子どもたちがいて、当時も、インター・トライバル・ハウスでイベントがあると、彼女と私の子どもたちはハウスの中を駆け回って遊んでいた。 健康クラス、子どもたちのサマーキャンプ、ティーンズのアートクラス、インディアンの伝統ダンスとドラムクラス。高齢者向けのヨガクラス。そして毎週のコミュニティディナー。キャロルは才能ある人々の協力を次々と取り付けて多彩なプログラムを企画している。 もちろんすべて無料で提供なので、財源確保が大変だ。でもそれも彼女にとっては嬉しい仕事のようで、ニコニコ顔が絶えない。17年ぶりに会うキャロルは孫3人の世話を楽しみながら、インディアンコミュニティに奉仕する毎日が楽しくてならないようだ。 オークランドのダウンタウンはかつてわたしのオフィスがあったところだ。そのすぐ近くに、10年前にイーストベイ・メディテーション・センター(東湾瞑想センター)EBMCができた。 わたしは、6月の初めから、ほとんど毎日のように、このセンターに通って、ヨガ、気功、瞑想をしている。 週末には丸一日研修がしばしば開かれる。「怒りの感情と瞑想」「仏陀の慈悲(マイトリー)の瞑想」「仏陀の教えによる非暴力による対立解消」といったテーマの研修に参加した。 ここは、すべて無料で、dana(お布施)によって運営されている。仏陀の教えに倣って、教える先生たちは、アメリカ仏教やヨガ、瞑想のエクスパートだが、danaを受け取るだけ。 また、ここは、人種マイノリティーや性マイノリティーの人たちのためのクラスも頻繁に開催している。 何度も出入りするうちに、友達がたくさんできた。 ヨガのクラスに参加したとき、わたしのすぐ隣のマットに座っていた背の高いアフリカ系アメリカ人の女性が、「あなた、ずーっと昔にCAPをやっていたゆりじゃない?」と声をかけられてびっくりした。「わたしはそのもっと前、コロンバスのオハイオでCAPが始まった70年代後半にサリークーパーたちと一緒にCAPをやっていたネルよ」と言う。 思わぬ出会いに互いに嬉しくなって、後日、待合せて、オークランドの湖を一緒に散歩した。彼女はわたしが知っていた頃は男性として生きていて、名前もネルソンだったことがわかり、思い出せなかったのも無理はない。 「33年前のことなのに、わたしのこと覚えていてくれて嬉しい」と言ったら 「そりゃそうよ。CAPはその後のわたしの人生の考え方の原点になったんだから」という。 「それって、日本のCAPのベテランたちが言うことと同じよ」 それからしばらく、私たちはそれぞれのCAP以降の人生を語り合った。 湖畔の散歩から5日後、わたしは親友、ビビアンと一緒にマリン郡の山の中の美しいリトリートセンターでの7日間の沈黙瞑想合宿へ向かった。彼女はCAP時代、全国各地でCAP養成講座のトレーニングをわたしと一緒にやった相棒だ。 7日間一言も話さずに100人近くの人々と一緒に瞑想とヨガをするリトリートは、まさにその言葉どおり、リ・トリート(あらためて自分ケアをする)だった。こんなに「今、ここ」の自分の心身にすべてを集中させる時間の流れに身をまかせたのはいつだったろうか。おそらく、子ども時代以来のことのように思う。 朝5時半、山や丘がまだ霧に覆われている中、一人山を登って、高台でヨガ瞑想をした。ほかにもヨガをしている人がいる。言葉をかわさなくても、何の違和感もなく、ただその人の存在を心地好く受け入れている自分がとても興味深い。 ネイティブアメリカン動物占い師からわたしは七面鳥。 これからは無償の愛を世界にもたらすために生きるでしょう と言われて神妙な思いになった。 言葉を使わずに、「今、ここ」にすべてを集中する瞑想を一日に10時間以上つづけていると、自然の音や気配に敏感になる。鹿の家族三匹が山を下りてくる気配がわかる。七面鳥の雄と雌が会話を交わしている声が聞こえる。 45分の座禅瞑想、30分の歩行瞑想、45分のヨガ瞑想を夜まで交互に続ける。 夜の法話はもっぱら「マインドフルネス」の方法や効果や仏陀の教えだ。アメリカでは、医療、メンタルヘルス、教育、福祉、ビジネスマネジメントと多岐にわたる分野で「マインドフルネス」の活用が超ロングランで大人気だ。メンタルヘルスでは「認知行動療法」はすっかり影をひそめてしまった。グーグル社などのIT先進企業では、職員研修にマインドフルネス瞑想をとりいれて数年になる。 満天の星の下で、マインドフルネスの華やかな成功譚ではなく、「今に生きよ」 との仏陀の声に耳をすます。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 森田ゆり講師の関連テーマ研修 in 大阪・・・