「2015年4月」の記事一覧

十数年に訪れたグランドキャニオンで

十数年に訪れたグランドキャニオンで

  平和行進は、ナバホ居留地のツーバシティの市民会館まで15マイルを歩き、そこに泊めてもらった。夕食時に小学生のディネの少女が母親と祖母と一緒に来て、伝統的な踊りを踊ってくれた。衣装を2回も着替えていくつも踊りを披露してくれたので、私たちも一緒に踊った。 祖母は、今また大変なことがおきているのです、グランドキャニオン周辺のインディアン、ディネ、ホピ、ハバスパイ、ズニなどインディアンは、大企業と政府による新たな聖地への攻撃の事態に直面している、このことを緊急に世界に知らせてほしいと語った。 なんとグランドキャニオン・リゾート開発が、1億2千万ドル予算で始まろうとしているのだ。 http://savetheconfluence.com/   私たちの聖地で儲けようとする企業が政府と一緒になって次々とやってくる。 グランドキャニオンの底に向けて、ロープウエイとゴンドラを通し、ホテルを建設するというリゾート建設予定地は、周辺12のインディアン部族にとって最も大切な聖地、神話の発祥地、祈りの場所、精神的よりどころされてきたところ、赤いコロラド川とトルコブルー色の小コロラド川が合流するconfluence (合流点)だ。 ここには生命誕生の神話があり、インディアンの人々は今もここで祈りの儀式をする。 Indian people around the four corners oppose to $120million resort development at the sacred confluence of the Grand Canyon. The plan includes construction of hotels and escarade gondora to the bottom of the canyon. For Dineh, Hopi, Havasupai, Zuni and other Indian tribes , Grand・・・

ネバダ核実験場での平和行進

ネバダ核実験場での平和行進・森田ゆり02

「いのちの平和行進NPT」はネバダ州核実験場に 着いた。「地球上で最も多く爆弾が落とされた場所」と、この写真の旗にある。世界最大の核実験場だ。1992年まで928回の核爆弾の実験が行われ、そのうち地上実験は100回、地下実験828回。地球を何度も壊滅させることのできる核爆弾があの山の向こうで炸裂してきた。 鳥取県がすっぽり入るほどの広大な実験場は、賭博の街ラスベガスの南100キロにある。行進団は砂漠の中の一直線の道路を3日間歩いた。昼は暑く夜は寒い気候、砂漠の砂埃、そしてガイガーカウンターには表れないが残留放射能の心理的影響か、行進者の数人が熱で寝込んだ。 南西400キロにロス・アンゼルス、北西500キロにサン・フランシスコがある。100回の地上実験は偏西風の吹く日に行われたため、大都市への汚染の影響は少ないが、東のユタ州、コロラド州、モンタナ州への核汚染は高い。どれだけの数の人が被ばくしているかは定かでない。ユタ州南部のモルモン教徒の町セントジョージでは、2万人が被ばくして白血病などで苦しみ、現在原子力委員会相手に訴訟を起こしている。ハリウッド映画俳優ジョン・ウエインは、肺がん、胃がん、腸癌と次々と発症し死ぬまで苦しみぬいたが、死因はネバダ実験場の風下にあった西武劇の長期ロケ地での被爆によると言われている。 Jhon Wayne died after suffering from cancer of lung, stomach and colon. He along with many was exposed to radiation from nuclear weapon testings while many western movies were filmed in the Nevada desert. 道路は山の手前にある核実験場施設に一直線に続く。毎日2~3000人の職員がここで働いている。今日も臨界前実験が活発に行われ、その回は優に1000回を超える。膨大な税金が地球を何十回も壊滅させることのできる兵器の開発に使われる。その一方、この国では3人に一人が歯科医療保健を持つことができない。 世界最大の核実験場で、その暴力性と狂気を批判し実態調査や情報調査を40年近く続けてきたNPO組織Nevada Desert Experienceは1982年から、従業員が出入りするゲート前に座り込む非暴力不服従行動を起こしてきた。 わたしは当時1歳の長男を連れてその最初のアクションに参加した。今日、35年の年月を経てこの同じ地に立ち祈る。 あまりに頻繁にたくさんのデモがここで行われてきたためか、「前方路上にデモ行進の人々 スピードは25マイル以下」という交通サインが立っていて、笑ってしまった。 ここは先住インディアンのウエスタンショショニ族が住んでいた土地。アメリカ政府は1868年の「平和と友好の条約」で、金鉱さがしで追い立てられ殺されたウエスタンショショの人々にこの土地を返すことを宣言したが、約束は守られず、代わりに核実験場とされてしまった。 わたしたちは、地元のカソリックワーカーやNevada Desert Experienceが主催する道路上での非暴力不服従行動に参加した。ウエスタンショショニ族が発行するこの地域に入ることを許可するヴィザがある。それにサインをして持っているように指示された。特に逮捕されるつもりの人は、必ず持つようにと。 写真は非暴力アクションに備えて道路に立ちふさがる保安官らに向かって、ウエスタンショショニ族のチーフ、ジョニー・ボブ氏が、聖なる砂漠は地球を壊すための爆弾実験のために使われてはならないことを両手を広げて語り、祈っている。 Western Shoshone chief, Johnni Bobb talked・・・

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