沈黙をやぶって:なかったことにはさせない

那覇でフラワーデモに初めて参加した。沖縄の児童相談所など福祉・医療職を対象に「DVと子ども虐待」をテーマに専門職研修をした日の夜。泊まったホテルの目の前の県民広場に約80人が集まっていた。

そこで全く予期しなかった20年ぶり、30年ぶりの再会があり心底驚いた。

国外で受けた性被害を語り始めたその人は、よく見ると30年以上前にアメリカで平和行進を一緒に歩いた知人だった。別の女性は25年前に取材をされた記者だった。さらに性暴力二次被害の苦しみをマイクを握りしめて長く語った方は、集会後「25年を経てお会いできるなんて」と握手を求めてきた。私を1992年に出版した「沈黙をやぶって:子ども時代に性暴力被害を受けた女性たちの証言+心を癒す教本」(築地書館)の著者と気づいてのことだった。

「沈黙をやぶって」は性暴力被害を受けた女性たちの声を集めた日本で最初の本だった。30年前の1990年に「当事者の声こそが社会を変える力を持っている。あなたの声を」と新聞記事を通して呼びかけたところ、「私も」「私にも起きました」「私の場合は〜〜」と御自身の性被害体験を語る手紙が次々ととどまることなく届き私たちを驚かせた。

Me too 運動は日本でも28年前に始まっていたのです。那覇のフラワーデモの夕闇の中で、一人の女性が「あの本何度も読みました。あの本しかなかったから。どれだけ力をもらったか」と心に染みる言葉を言いにきてくれて、どちらからともなく力強くハグを交わした。

こんな予期せぬ出会いをもたらしてくれたフラワー・デモという方法を編み出した女性たちに心から感謝したい。お洒落で、軽やかで、でも勇気の重さはどっしりの、クリエイティブなニュージェネレーション・フェミニズム。同時に「沈黙をやぶって」の「はじめに」で次のように呼びかけたことが日本で再び大きく広がっていることの世代を超えた連帯に深い感動を覚えた。

「人生のネガティブな汚点でしかなかったその体験は、それを語り、意識化しようとするプロセスの中で、その人の強さの拠り所となり、その人の存在の核ともなります。

語り始めること、今だ存在しない言葉を探しながら、たどたどしくとも語り始めること。語ることで出会いが生まれ、自分の輝きを信じたい人たちのいのちに連なるネットワークができていくことでしょう。

ひとたび沈黙をやぶったその声を大きく広く、日本の社会いたるところに響き渡らせていく大きな流れのムーブメントの担い手に、あなたも加わりませんか。」

実際、この本に寄稿した人たちの中からその後、裁判に訴えた人、本を出版した人、サバイバーのアート展覧会を開いた人、CAP(子どもへの暴力防止)プログラムを学校に届け続けている人など様々な表現活動を続ける人々が生まれた。

語ることは必ずしも言葉でなくていい。音楽、踊り、詩、映像、アートなどなど。過去の苦しみは自分なりの表現手段を得た時、その人の生きる力の揺るがない核心になる。

幼児期に強姦されたたった一度の体験を載せた「一人暮らしの婆」は「初めて文字にして70余年秘めた胸の傷が涙とともに溶けてゆく」と書いた。当時78歳だったこの方はその後、どのような人生を送られたのだろう。

「沈黙をやぶって」が日本の#MeToo運動の源流にあることを記憶して改定増補版が近々出版される。

強姦罪が大幅に改正されて2年もたたない2019年3月。福岡、名古屋、静岡、浜松の地裁で性暴力事件への無罪判決が続いた。バックラッシュ(揺り戻し)だ。単に裁判官個人の見解の問題ではない。子どもや女性の人権が一歩でも力を得ると、既得権を脅かされる不安にかられる人々が、揺り戻しをかけてくる。この50年、アメリカで何度も繰り返されたことだ。

今年に入って2月に福岡高裁が一審の無罪判決を覆す有罪判決を下し、3月には名古屋高裁が逆転有罪判決を出した。日本の司法への絶望が希望に変わる。この希望判決を出させるためにはたくさんの人々の活動があった。被告弁護士の岩城正光氏は親しい友人。判決に涙が出たそう。でも闘いはまだまだ続く。
バックラッシュはこれからも何度も襲って来るのだから。

名古屋高裁の逆転判決を受けて原告女性は長文のコメントを出した。
「私の経験した、信じてもらえないつらさを、これから救いを求めてくる子どもたちにはどうか味わってほしくありません。私は、幸いにも、やっと守ってくれる、寄り添ってくれる大人に出会えました。」

そう、出会い。フラワーデモはほんの1時間にいくつもの出会いを私にもたらしてくれた。出会いは社会を変える原動力であると同時に、被害を受けた人の心身の回復をもたらす原動力でもある。性暴力被害のトラウマ治療を受けられる場が僅かだった当時に「癒しとは出会っていくこと」という治療的枠組みで「癒しのエンパワメント:性虐待からの回復ガイド」(森田ゆり著 築地書館2002年)を出版したのは、沈黙をやぶった後に続く孤独な回復の歩みに伴走したかったから。

捜索願い    風子
自分の心が行方不明です/でももともとそんな物無いのかもね
どうせなら体の方もスッパリ消えてしまえばいいのにね

5歳の時の性暴力被害を生きてきた苦しみの和歌や詩を「沈黙をやぶって」にいくつも載せてくれた風子さんは28年前に、MeToo運動の希望を呼びかけていた。

この指とまれ      橘 風子
自分を愛したい人 この指とまれ
秘密を持った人 おいでよここに
三人寄れば ヒソヒソと声だかのアンサンブル
五人になれば にぎやかだ
七人になれば 心もあったか

十人二十人になれば 恐いものなし
三十人五十人になれば 友が友を呼ぶ
百人になったら 世の中も変わる
だから この指とまれ

(この文章は、2020年5月末まで一般公開できません。それ以降のシェアは
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エンパワメントとレジリアンス

 

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