タンポポ・キャンペーン

タンポポ・キャンペーン
~ ひきわけよう、あきらめない、つながろう ~
©森田ゆり  2003年5月

タンポポキャンペーン長くて厳しい冬の寒さが終わり、新緑が輝く季節となりました。この暖かいいのちあふれる春の光をあびながらも、心は沈んで晴れません。

あまりに理不尽な戦争が始まり、そして終わり、報道されない死傷した子どもたちの姿の残像が今も目の裏に残っています。

戦争で死傷する子どもたち、虐待で死傷する子どもたち。どちらも大人が彼らの未来を奪う行為です。人類はいつになったらこのどちらもの愚行を止めるのでしょうか。

タンポポの花が咲き終わり、白い冠毛をつけた種子のかたまりが風に飛びます。

7歳の息子はそのタンポポにふーっと息を吹きかけて種を四散させます。

「シャボン玉みたいだね」とわたしが言いました。

「シャボン玉は消えてしまうけど、タンポポはこうやって種を散らすと、来年たくさん花が咲くよ」と訳知りに息子は言いながら、また別のタンポポの冠毛のかたまりに息を吹きかけます。

タンポポ作戦を奨励しています。

「戦争も虐待もDVも、もういいかげんにしてほしい。いのちの讃歌とそのいのちを脅かすあらゆる暴力にNOの声を上げるために、非暴力のタンポポの種毛をふーっと四方に吹き散らす。」

これがタンポポ作戦です。大声でなくていい、激しなくてもいい、言葉でなくてもいい。音楽や、踊りや、身振りや、語りや、映像や、ビルボード(大看板)や新聞広告やそしてスピーチや激論。

あなたもタンポポ作戦に参加しませんか。あなたもあなたのタンポポ作戦を始めませんか。

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アメリカのイラク戦争は、これまでの社会が唯一容認してきた正当防衛としての戦争の考えをかなぐり捨て、考え方が違ったら侵略戦争をしてもよいとの新しい規範を示しました。 人類が二度の大戦から築いて来た国際平和のための法秩序を破壊したのです。

この戦争は、もし認められる殺人があるとしたら、正当防衛しかありえないという今日までの広く認知された倫理を反故にしました。この戦争は考え方を通すためには人を殺してもよいという新しい倫理を、世界中の人々に、世界中の子どもたちに示しました。そして日本政府はその考えに全面的に賛成し、さらにこれからも協力するために、有事立法三法案を衆議院で可決しました。

インターネットを通じて世界中に広がった米国の13歳の少女、シャルロット・アルデブロンのスピーチにこんな箇所があります。

「わたしは、人とけんかをしたときは、たたいたり悪口を言ったりするんじゃなくて、自分がどう思うのかを伝えなさいと教えられました。(中略)わたしはどう感じるかを伝えたいと思います。ただしわたしではなく、わたしたちとして。

悪いことがおきるのをどうしようもなくただ待っているイラクの子どもたちとして。なにひとつ自分たちでは決めることはできないのに、その結果はすべて背負わなければならない子どもたちとして。声が小さすぎて、遠すぎて届かない子どもたちとして。

明日も生きられるかわからないと考えるとこわいです。殺されたり、傷つけられたり、将来を盗まれると思うと悔しいです。いつもそばにいてくれるおとうさんとおかあさんがほしいだけなんです。」

米国、英国、そしてその戦争を支持した日本の政権を握る大人たちは、子どもたちに「考えが違ったら、相手を殺してもいいんだよ」と自らの行動をもってその規範を示しました。

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4年前、米国コロラド州のコロンバイン高校で二人の高校生による無差別銃撃事件が起きた日、当時の大統領クリントンはTVの全国放送で、「気に入らないことがあったら暴力で解決しようとするのは間違いだ。子どもたちにそれを教えなければいけない」と呼びかけました。

しかしその前日、クリントンは総額7百億円を超えるユーゴ爆撃の戦争追加の補正予算を議会に送ったのです。この予算によってユーゴ爆撃が続行され多くの市民が死にました。

『暴力で解決しようとするのは間違い』ではないのでしょうか。高校生の殺人犯二人に銃を売った男は逮捕されたけれど、戦争で武器を売り続けている米国の企業が逮捕されることはありません。」

マイケル・ムアは昨年この乱射事件を題材にしたドキュメンタリー映画「ボーリング・フォア・コロンバイン」を発表してアカデミー賞をとりました。今年3月、ブッシュ政権がイラク攻撃を開始したとき、彼はこう言いました。「米国の高校生は今週、もめごとの解決手段として暴力が認められると学んだ」。

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もめごとや対立がおきると多くの人は、勝とうとします。家庭内の対立においてもそうです。対立の場面で人は感情的になるので、いっそう躍起になって、相手を非難し自分の正しさを主張し、勝とうとします。

言い争いのけんかでは、最後の言葉を決めたほうが、なんだか勝ったような気分になります。口げんかでは勝てないとき、もめごとを暴力をもって解決してもいいんだと学んでいる人は、暴力という手っ取り早い方法を用いて勝とうとします。暴力とはさまざまな力を用いて相手をコントロールしようとすることです。その結果、暴力は人の心と体を深く傷つけます。

わたしは、子どもとの関係で悩む親や、妻を殴ってしまう夫に「勝とうとしないで、負けもしないで、引き分けよう」と伝えています。引き分けようと考えて、子どもやつれあいとの対立に対処する努力をしてみてください。気づくことがたくさんあるはずです。

国家間でも同じことが言えます。なぜ勝ちたがるのでしょう。勝ち負けの世界は、スポーツとゲームの中だけにしたいのです。勝とうとせず、だからといって負けるのでもなく、引き分けをめざすのが平和外交ということではないでしょうか。

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ブッシュ大統領がジェット戦闘機から搭乗員服を着て空母に降り立ち「われわれは勝利した」と大演説をぶつ映像を、先月アメリカのTVは来年の大統領選の宣伝効果を狙って繰り返し放映していました。

何千人、何万人の人々を殺し、負傷させ、家族を絶望においやって手に入れた「勝利」は栄光でも勇壮でもなく、ただ腐臭を放ち顔をそむけたくなるほど醜いです。

映像の中で「勝利」に顔輝かすブッシュをはじめとする男たちの嬉々とした様子は、戦争ごっこで勝ってよろこぶ少年たちの単純な興奮と少しも変わりません。

ガキ大将の少年が、勝ったぞー、強いだろう、これからは俺にたてつくな、とこぶしを上げている姿をオーバーラップさせてしまいました。そのガキ大将の後ろのほうに、気弱そうにくっついてまわっている日本国政府のすがたも浮かんできます。

勝つことよりも引き分けることのほうがずっと高度の知恵とスキルと精神力の強さと勇気を必要とします。そのような一人一人の内面の強さと勇気といのちと地球への愛と感謝を、タンポポ作戦として日本中に展開したいのです。あなたも参加してください。

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息子が国語の宿題で教科書の「タンポポのちえ」という文を大きな声で音読しました。タンポポの黄色い花はしぼむと、茶色くなってぐったりと地面に倒れる。でも枯れてしまったのではない。休んで中で種を太らせている。

しばらくすると白い綿毛ができ、じくを起こし、ぐんぐん背が高くなって、咲いている花のずっと上まで背高になる。こうして綿毛は風にのって、遠くまで飛ぶことができる。タンポポはいろんな知恵を働かせて、あちこちに種を飛ばして新しい仲間を増やしているというのです。

さっそく外へ出てタンポポの花をさがしました。ほんとだ、ほんとだ。茶色く閉じた花がぐったり倒れている。そして白い綿毛をつけたじくは、すーっと背が高い。

一方、タンポポの種はまくのではなく、口元に持っていってふーっと息を吹きかけます。このほうがずっと気楽で、のびのびとして、楽しげで軽やかな雰囲気がありませんか。

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以前も何度か本誌で紹介報告した背高女プロジェクトはタンポポ作戦のひとつです。竹馬上のスツィルツにのって、巨大な2.5メートルの女と女の子たちが、いのちの讃歌とそのいのちを脅かすあらゆる暴力に‘NO’の声を上げる。

沖縄に、東京に、大阪に、奈良、九州にと神出鬼没し、その華麗なる巨体で存在感を誇示し、非暴力のタンポポの種毛をふーっと四方に吹き散らす。

エンパワメントセンターが毎年6月に主催する「ピース with アクション」のメッセージは「さあ、心ひらいてつながろう。わたしとあなたとあなたの家族と友人とそのまた友人と、果てしなく続く希望の輪をつなげていこう。そう、あなたもあなたの場でピース with アクションを開催しませんか。」

これもタンポポ作戦です。そもそもピース with アクションのシンボルマークはタンポポの種を吹き飛ばす子どもの絵なのです。

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来る6月22日大阪ドーンセンターでの「第四回ピースwithアクション」という大掛かりなタンポポ作戦にあなたも参加しませんか。あきらめない、つながる」というタンポポ作戦のメッセージを共有しあいましょう。

心躍らせ、心通わせあいましょう。タンポポ作戦のオレンジと黄色の素敵なバッジができました。 当日いくつも買って帰ってください。

暴力に代わる問題解決をねがうあなたの思いを、戦争に反対するあなたの意思を、子どもたちが、引き分けることを学んで欲しいとのあなたの願いを、非暴力に生きるあなたの姿勢の表現として、「あなたにもタンポポの種を」と言って、タンポポバッジを人にプレゼントするのもいいですね。

日本中の非暴力を願う人々がみなタンポポバッジをつけていたらきっとみんな、「ひきわける」「あきらめない」「つながろう」のタンポポ作戦の言葉を思い起こして互いに力をあげあうことができるでしょう。

 
※『非暴力タンポポ作戦~引き分けよう、あきらめない、つながろう』(森田ゆり著解放出、版社2004年)より転載

※ 引用、転載する際は、必ず著者名とこの出典を明記すること。

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