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「児童虐待防止法の改正を準備する会」会報第5号

「児童虐待防止法の改正を準備する会」会報第5号 (2002年10月31日)より転載 森田 ゆり(エンパワメント・センター主宰) いち いちってね つまりぼくがね いちなのさ ぼくは せかいで ひとりきり いちってね つまりママがね いちなのさ ママは せかいで ひとりきり いちってね つまりきみもね いちなのさ ぼくと きみとで 2になるよ いちってね だけどちきゅうは ひとつなの ぼくと きみとで てをつなぐ いちってね だからはじめの かずなのさ ちいさいようで おおきいな 谷川 俊太郎「誰もしらない」(国士社)より   2000年6月に成立した「児童虐待の防止などに関する法律」は、保護者から子への暴力を禁じる法律が日本で初めて成立したという歴史的意義において画期的なものでした。しかし子どもへの虐待件数を減らすためには、あまりにも不十分な法律です。 現場にいる人々の虐待ケースへのさまざまな努力と工夫を、その場限りの対処法に終わらせるのではなく、虐待問題の抜本的解決という目標に向けた貴重なひとつひとつの成果として積み上げていくためには、効力のある法的枠組みを整備することが不可欠です。その枠組みを作るためにも、わたしたちは児童虐待防止法および児童福祉法の改正を求めます。 あなたという「いち」とわたしという「いち」とが出会い、またべつの「いち」と出会い、そんな無数の出会いの連鎖こそが、社会の問題を解決し現状を変えていく原動力です。 来る12月13日(金)夕方に、東京日比谷で全国の子どもの福祉にかかわる人々や市民や当事者が集まり、「子どもの虐待死を悼み、命を讃える市民集会・パレード」を大々的に行います。5千人以上の参加を予想しています。同封のパンフをご覧になり、是非このような動きが起きていることを、周りの人に伝えて下さい。本会の代表森田が12,13集会の実行委員長を務めています。そこでまたたくさんの出会いを得ることができるでしょう。12月に日々谷公会堂でお会いしましょう。   もくじ 会員に聴く:インタビュー「児童虐待防止法の改正に望む」…………………………………2      野口 啓示、 白山 真知子、 田中 優子、 飯島 成昭、 森田 ゆり 今の虐待防止法の一番だめなとこは? ~夏休み長女と話したこと~ 山根 若子………7 ちいさなあのこ、巨大ないのち  松尾 理恵子………………………………………………8 国会でCAP子どもワークショップ  森田 ゆり……………………………………………8 国会議員が安心、自信、自由 ~歴史的瞬間に立ち会って~ ……………………………12 会費納入のお願い…………………………………………………………………………………12   会員に聴く:インタビュー「児童虐待防止法の改正に望む」 児童虐待防止法が施行されて2年が過ぎようとしています。いよいよ改正に向けて動く時です。そこで今回、児童福祉の第一線で子どもと関わっている会員の方に、法律の施行をどのようにとらえているか、改正に何を望むかをお聴きしました。   神戸少年の町 指導員・野口 啓示さん Q:簡単に自己紹介をお願いします。 野口:関西学院大学大学院社会福祉学科を卒業後、米ワシントン大学に留学し、その後“神戸少年 の町“に指導員として勤務するようになってから4年になります。   Q:“神戸少年の町”って珍しい名前ですが、どういうところですか? 野口:児童養護施設です。現在児童養護施設に70名、乳児院に20名がいます(定員一杯だそうです)。2年前からグループ・ホーム制を実施しています。10人ずつに別れて生活し、食事、入浴なども少人数で行っています。従来の大人数の生活では、どうしても大ざっぱになりやすく、少しでも家庭的な雰囲気をという子どものケアの観点からグループ・ホーム制をとっています。これにより職員の負担は以前にも増して重くなる面もありますが、グループ・ホーム制は順調だと思います。 “神戸少年の町”というのは、米で1917年に設立されたボーイズ・タウンからきてるんですよ。 フラナガン神父の夢を追いかけるという熱い思いが職員にはあって、英語名は“KOBE BOYS TOWN“っていいます。 それから、3年前から、虐待ハイリスクの親への指導の取り組みを行っています。虐待してしまう親を見ていると、本当にどうして良いかわからない、子どもへの対応のスキル不足を感じるからです。 何とか、こんなことも、あんなことも出きると具体的に伝えることができないか、との思いからです。(最近教科書を出されたそうです。「親の目、子の目」BNN新社)   Q:今、一番大変な事は? 野口:とにかく職員の定員不足です。子どもへのケアは不十分になりますし、職員には残業を強要してしまう事になり、泊まりも多いです。今、子どもは一人ひとりがとても大変です。難しい問題を抱えている子どもも多く、大人の関心が必要です。私たちがよく使う言葉に「ちょっと、待って」と言うのがあります。 目の前の子どものニーズがわかるのに、それに応えて上げられずに、「ちょっと、待って」。とても辛いし疲れる事です。思いがあるのにできないのは燃え尽きの原因です。 それから、親のケアの問題があります。私たちは子どもと関わっている訳ですから、親とはできるだけ対立したくはありません。でも親の中には精神科領域の人がいる場合もあります。また、児相のケースワーカーの人数不足から、養護施設が関わらざるを得ない時もありますが、人数的にも親の対応は難しい。神戸少年の町には家庭支援センターと言うのがあって、虐待後のアフターケアも望めるので、まだ恵まれているほうだと思いますが…  ・・・

メールマガジン78号の写真

7日間の沈黙瞑想行の解除  ヴィヴィアンと

メールマガジン78号の写真 2014年7月25日 カリフォルニアは毎日、雲一つない真っ青な空がひろがっていて、乾いた陽光がシャワーのように降り注ぎ、とても気持ちよい。裏庭は木が多く少しひんやりしている。毎朝裏庭の木に囲まれて、ヨガをしながら、朝日を迎える。ハワイの祈り、エアラエ!(朝日よ!)をチャントしながら。 5月の末に、ハワイを出て、カリフォルニアの自宅で暮らし始めた。17年前に思い切ってカリフォルニア大学を辞任し、この家から西宮の関西学院大学構内の古くて大きな西洋館に引越しした日のことが、つい先月のことのように思い出される。   この庭に有機野菜を育てることがこの夏の目標だ。 オレンジやレモン、ビワは17年前も同じように見事な実をつけていた。プラムの木は毎年赤い実がたわわになって、取りきれなくて鳥とリスに食べてもらっていたのに、木が病気になったようで、半分枯れてしまった。プラムジュースを作って飲むのを楽しみにしていたのに。 有機の土をぼかしで作って、畑を作り、トマト、なす、ピーマン、小松菜、ズキーニ、カボチャ、いちご、そして8種類のハーブを植えた。2か月間で、それぞれしっかり成長してくれて、毎朝、庭をまわり「おはよう」とあいさつするのが日課となった。 表庭は芝をはがして、カリフォルニアネイティブの野花の種をたくさん蒔き、コスモスの苗を植えた。2か月でコスモスはぐんぐん成長して、大輪のピンクの花をさかせて揺れている。 俳人でもあった父はコスモスが好きで、彼の晩年の句を思い出した。 「残る日々 合掌一筋 秋桜」 17年間で変わったことといえば、この街オークランドの犯罪多発地区にも都市農場がいくつもできたこと。空地や庭で野菜を作る人口がだいぶ増えたようだ。 BBQパーティーもかつてのように肉をジュージューというより、大きなズキー二の厚切りやアスパラのオリーブ油漬け、マッシュルームのチーズ焼きなどが好まれる。 そういえば、先日、娘夫婦と一緒にした裏庭でのBBQパーティーで、ちらし寿司を作ったら、友人たちが「ライスサラダ、最高!」といって大喜び。大きな皿に二つも作ったのに、すぐになくなってしまった。ちらし寿司をライスサラダと呼んだアメリカ人の親友のネーミングが新鮮だった。 我が家とのなじみを取り戻しながら、同時に昔の友人たちとも17年の歳月がたったことが信じられないくらい、すんなりと友情を復活させている。 その一人は、アメリカン・インディアンのキャロル・ワペパ。付き合いは34年になる。オークランドの貧困地域のただなかで、都市インディアンの若者たちの集まる場所、「サバイバルスクール」を開いていたインディアン・リーダー、故ビル・ワペパの妻だ。   彼女は今、NPOインター・トライバル・ハウス(都市インディアンのコミュニティ活動団体)のディレクターとして大活躍している。 「ゆり、毎週木曜日は、ドラムと踊りのクラスとコミュニティーディナーだから、来て」とメールが来る。「ゆり、有機野菜ガーデンのボランティアに来ない?」と次々と誘ってくれる。     キャロルも私も同年齢の子どもたちがいて、当時も、インター・トライバル・ハウスでイベントがあると、彼女と私の子どもたちはハウスの中を駆け回って遊んでいた。 健康クラス、子どもたちのサマーキャンプ、ティーンズのアートクラス、インディアンの伝統ダンスとドラムクラス。高齢者向けのヨガクラス。そして毎週のコミュニティディナー。キャロルは才能ある人々の協力を次々と取り付けて多彩なプログラムを企画している。 もちろんすべて無料で提供なので、財源確保が大変だ。でもそれも彼女にとっては嬉しい仕事のようで、ニコニコ顔が絶えない。17年ぶりに会うキャロルは孫3人の世話を楽しみながら、インディアンコミュニティに奉仕する毎日が楽しくてならないようだ。 オークランドのダウンタウンはかつてわたしのオフィスがあったところだ。そのすぐ近くに、10年前にイーストベイ・メディテーション・センター(東湾瞑想センター)EBMCができた。 わたしは、6月の初めから、ほとんど毎日のように、このセンターに通って、ヨガ、気功、瞑想をしている。     週末には丸一日研修がしばしば開かれる。「怒りの感情と瞑想」「仏陀の慈悲(マイトリー)の瞑想」「仏陀の教えによる非暴力による対立解消」といったテーマの研修に参加した。 ここは、すべて無料で、dana(お布施)によって運営されている。仏陀の教えに倣って、教える先生たちは、アメリカ仏教やヨガ、瞑想のエクスパートだが、danaを受け取るだけ。 また、ここは、人種マイノリティーや性マイノリティーの人たちのためのクラスも頻繁に開催している。 何度も出入りするうちに、友達がたくさんできた。 ヨガのクラスに参加したとき、わたしのすぐ隣のマットに座っていた背の高いアフリカ系アメリカ人の女性が、「あなた、ずーっと昔にCAPをやっていたゆりじゃない?」と声をかけられてびっくりした。「わたしはそのもっと前、コロンバスのオハイオでCAPが始まった70年代後半にサリークーパーたちと一緒にCAPをやっていたネルよ」と言う。 思わぬ出会いに互いに嬉しくなって、後日、待合せて、オークランドの湖を一緒に散歩した。彼女はわたしが知っていた頃は男性として生きていて、名前もネルソンだったことがわかり、思い出せなかったのも無理はない。 「33年前のことなのに、わたしのこと覚えていてくれて嬉しい」と言ったら 「そりゃそうよ。CAPはその後のわたしの人生の考え方の原点になったんだから」という。 「それって、日本のCAPのベテランたちが言うことと同じよ」 それからしばらく、私たちはそれぞれのCAP以降の人生を語り合った。   湖畔の散歩から5日後、わたしは親友、ビビアンと一緒にマリン郡の山の中の美しいリトリートセンターでの7日間の沈黙瞑想合宿へ向かった。彼女はCAP時代、全国各地でCAP養成講座のトレーニングをわたしと一緒にやった相棒だ。 7日間一言も話さずに100人近くの人々と一緒に瞑想とヨガをするリトリートは、まさにその言葉どおり、リ・トリート(あらためて自分ケアをする)だった。こんなに「今、ここ」の自分の心身にすべてを集中させる時間の流れに身をまかせたのはいつだったろうか。おそらく、子ども時代以来のことのように思う。 朝5時半、山や丘がまだ霧に覆われている中、一人山を登って、高台でヨガ瞑想をした。ほかにもヨガをしている人がいる。言葉をかわさなくても、何の違和感もなく、ただその人の存在を心地好く受け入れている自分がとても興味深い。 ネイティブアメリカン動物占い師からわたしは七面鳥。 これからは無償の愛を世界にもたらすために生きるでしょう と言われて神妙な思いになった。 言葉を使わずに、「今、ここ」にすべてを集中する瞑想を一日に10時間以上つづけていると、自然の音や気配に敏感になる。鹿の家族三匹が山を下りてくる気配がわかる。七面鳥の雄と雌が会話を交わしている声が聞こえる。 45分の座禅瞑想、30分の歩行瞑想、45分のヨガ瞑想を夜まで交互に続ける。 夜の法話はもっぱら「マインドフルネス」の方法や効果や仏陀の教えだ。アメリカでは、医療、メンタルヘルス、教育、福祉、ビジネスマネジメントと多岐にわたる分野で「マインドフルネス」の活用が超ロングランで大人気だ。メンタルヘルスでは「認知行動療法」はすっかり影をひそめてしまった。グーグル社などのIT先進企業では、職員研修にマインドフルネス瞑想をとりいれて数年になる。 満天の星の下で、マインドフルネスの華やかな成功譚ではなく、「今に生きよ」 との仏陀の声に耳をすます。     ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 森田ゆり講師の関連テーマ研修 in 大阪・・・

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