シンポジウム「児童虐待防止法の施行がもたらしたもの 」

去る12月14~15日に神戸で「日本子どもの虐待防止研究会 」第7回が開かれ、全国から2000人以上の参加者がありました。この大会の重点課題の一つが「児童虐待防止法の施行がもたらしたもの」でした。

わたしはそのシンポジストの一人として、「児童虐待防止法の改正準備の会」を代表して話しをしました。その概要をここに報告します。

尚、座長の高橋重宏氏、他のシンポジストの奥山真紀子氏、田中幹夫氏のスピーチの概要は大会プログラム/抄録集に載っています。

「防止法の施行がもたらしたもの」を一言で言うのなら何でしょうか。
この法律がもたらしたものは、単刀直入に言うならば、この法律を改正しなければならないという動きです。改正して実行力のある法律にしようと、ここに集うみなさんの強い関心と意志とアクションをもたらしたことです。法律改正の目的に向って、ここにいる私たちがつながりあうことができることです。

わたしはこの法律の立法プロセスに、まず議員の院内学習会の講師として関り、次に衆議院の参考人として、そして法律成立までロビー活動を続けました。(日本ではロビー活動のことを”陳情゛って言うんですね。) カリフォルニア州在住時代に、「子どもの虐待防止教育法」という法案の起草から民間非営利団体として関り、無事成立させることができた経験を思い出し、日本でも市民が立法に直接参加できるんだととても嬉しい思いでした。

しかし、2000年4月に突如出て来た与党案の内容には期待が裏切られた気がしました 。新法は、虐待の被害者、加害者への援助が不可欠だという現実を受け止めている点では評価できますが、すでに実施されている取組みに対しての指針を述べたに過ぎない点が多く、被虐待児およびその家族への治療的ケアが困難を極める問題点を抜本的に解決するための法的バックアップとなる部分はわずかです。

もちろんこの法律は虐待禁止を初めて明文化したという歴史的意義はあります。虐待関連の国際会議で、他国の友人達に再会した時、ようやく日本にも子どもの虐待防止の法律とDV防止の法律が成立したと報告できたことはやはり嬉しいことでした。

3年後の法改正の必要性を痛感したため、法律の施行直後の2000年12月に「児童虐待防止法の改正を準備する会」を立ち上げました。これからも次々と出てきて欲しい法改正を求める動きと繋がりながら、現場と子どもの視点からの法改正を実現する一つのちからでありたいと思っています。

新法の改正必要点はたくさんあるのですが、時間が限られていますので、ここでは3点だけに限ってお話します。

 

要点【1】

わたしはこの法律にはヴィジョンがないと思います。子ども虐待とは子どもに対する力の濫用であり、身体的社会的に力の優位に立つ大人が、子どもの人としての尊厳、すなわち人権を侵害する行為です。子どもの人権を擁護するというヴィジョンがこの法律には明記されていません。第一条の目的に、「この法律は児童虐待が児童の心身の成長及び人格の形成に重大な影響を与えることに鑑み…… 定めた」とあります。「子どもの人権」という言葉はついに一言も入りませんでした。

子どもの人権を擁護することが大人の権利を制限することになると信じそれを怖れる議員の方が多いからです。いつもは人権を声高に主張している政党が、与党案合意のためには、いとも簡単に人権理念を取り下げてしまうことをはばからないからです。

「児童買春・ポルノ行為からの児童保護法」(平成11年5月成立)では、第一条の法の目的に「この法律は児童に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利を著しく侵害することの重大性にかんがみ・…・児童の権利の擁護に資することを目的とする」とあります。

「DV防止・保護法」(生成13年4月成立)ではその前文において「我が国においては、日本国憲法に個人の尊厳と法の下の平等が謳われ、人権の擁護と男女平等の実現に向けた取組みが行われている。~~~ 人権の擁護と男女平等の実現を図るために~~この法律を制定する。」と、法の目的が人権尊重であることを明確にしています。

児童虐待防止法でも子どもの人権尊重の理念を明文化する必要があります。たとえば児童買春・ポルノ防止法の文にあてはめるとこうなります。「この法律は、子どもに対する虐待が子どもの人権を著しく侵害することの重大性に鑑み、~~~子どもの人権擁護に資することを目的とする」

小渕前首相の突然の死によって、衆院解散、選挙の時期が早まることになり、児童虐待防止法案の国会上呈が危ぶまれた時がありました。そのときわたしは成立に重要な役割を果たすと思われる議員たち一人一人の部屋を訪れて話しをしてまわりました。法律が成立した時、そのとき話しをした議員たちへお祝いの手紙を送りました。労をねぎらう手紙だったのですが、成立した法律の内容があまりに不十分だったことへの無念さも伝えたくてこう書きました。

「被虐待児とは人として尊重されなかった子どもたちです。その子どもたちに、『あなたは人として尊重されなければならない大切な人なんだよ。』『もしあなたのまわりの大人たちがあなたの人としての尊厳を蹂躪するのだったら、わたしたちが、国が、あなたのまわりの大人たちに、あなたを人として尊重するように言うからね』と言ってあげること、それがこの法律の心であると思います。それを短い言葉で言いかえると『子どもの人権を擁護する』という事になります。それが法律の目的に明記されなかった事は残念でなりません。
(中略)
2000年という年にこの法律が成立することはとてもタイムリーな事だと思います。21世紀を生きる子どもたち、21世紀を創っていく子どもたちへの素晴らしい贈り物となることでしょう。そのためにも3年後の改正にも引続き取り組んでいただくことを期待しています。(後略)」

単に「子どもの人権」という言葉を入れる入れないの問題ではなく、その言葉が入っていることで、現場での対応も変わってくるのです。どう変わるか、例を3つあげましょう。

  1. 学校、地域での啓発の場で、あるいは虐待をしている親との話しの中で、子どもの人権を尊重するとはどういうことなのかを、法律の文面を使って語っていかれるのです。
    法律は、人々の意識を高め、一人一人が人権感覚をはぐくんでいくための道具としてあって欲しいものです。
  2. 子どもの虐待問題は福祉、医療、教育、司法、市民活動、さまざまな分野が協力関係を持たなければ対応できないという特殊性を持つ社会問題です。その際、諸分野の人々が共有できるヴィジョンの認識が、実務レベルでの協力関係をスムーズにします。そのヴィジョン、「子どもの人権を守る」すなわち、「子どもの最善の利益を優先する」が、法律に明文化されているか否かは大違いです。虐待に対応する分野で、加害者の親への遠慮はすごく強いです。子どもの人権より大人の都合を優先させてしまう対応が頻繁に起きています。性虐待ケースの場合、それは一層、子どもの声を封じる、否認するという形で、問題となっています。
  3. 法律のヴィジョンに子どもの人権擁護が明文化されていることで、子どもが自分の人権の主体となっていくことを促すプログラムや動きが活性化されます。たとえばチャイルドライン、CAPプログラム。被虐待児の治療においても、子どもや10代の少年少女たちのグループミーティングのアプローチを実践して、子ども同志のエンパワメントをもたらしていく。同時に子ども自身の持つさまざまなちから、すなわち、困った時は信頼する人のちからを借りよう、怖くなったら逃げよう、自分の権利を大切にしたいと思う力、何か自分にもできることがあると思うちからを信頼し、働きかけ、サポートしていくそのようなアプローチがもっと実践に移されてよいのではないでしょうか。

虐待のない社会を作るためには、子どものときからの予防教育の徹底が最も効果的でかつお金がかからない対策です。カリフォルニア州では1985年に子どもの虐待防止教育法を制定し、幼稚園から高校まで公立学校で、人権概念に基づく予防教育プログラムの実施を義務づけました。日本でも学校教育の中で、子どもの人権感覚を育てながら、虐待や暴力から身を守るための教育プログラムを実施する必要性を法律の条文の中に定めてほしい。

要点【2】

改正が必要だと思う第二点目は第2条の虐待の定義です。条文は次のようになっています。

「この法律において、『児童虐待』とは、保護者(親権を行うもの、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう)がその監護する児童(18歳に満たない者をいう。以下同じ。)に対し、次に掲げる行為をすることをいう。」この条文によれば、虐待は加害者が保護者または養護施設の所長や職員の場合に限られてしまいます。子ども虐待の加害者は保護者に限りません。保育士や教師である場合もあります。2年前の神奈川県伊勢原の保育園で起きた園長による連続虐待死事件にはこの法律はあてはめることができません。

特に性虐待の多くのケースはこの定義では、虐待とはみなされないことになります。性虐待のケースでは、加害者は保護者であるより、きょうだい、親戚の人、知人、友人、クラブのコーチ、教師、習い事の先生などである場合の方が多いです。このことに関して日本では引用できるような調査がまだなされていません。性虐待の調査として最もよく引用されるアメリカのダイアナラッセルの調査によると、性虐待の加害者の16%が親類、4.5%が実父または義父から。すなわち、95.5%の加害者は父親ではないのです。ちなみにこの調査では、38%の女子が18歳になるまでに望まない性被害を受けていたことを明らかにしました。

その後のいくつもの調査の積み重ねによって、国際的な虐待の研究分野では、「3~4人に一人の女子、6人に一人の男子が性虐待を受けている」ことが知られています。

この条文は第3条の「何人も児童に対して虐待をしてはならない」という禁止条項と矛盾を起しています。わたしが虐待防止の仕事をしていたカリフォルニア州の法律でも、イギリスの法律でも虐待を保護者からとは限定していません。

定義に関してもうひとつ。虐待の四つのタイプを記しているが、それぞれに例をいくつもいれてほしい。その際、心理的虐待の例の中には、「子どもがドメスティックバイオレンスの環境で育つこと」を入れて欲しいです。条文に入れられないのだとしたら、実務レベルでの、初期アセスメントのガイドラインには「DVの有無」の査定を入れて欲しいです。それは① DVが実に頻繁に起きていること、② DVの家庭環境で育つことが、虐待を受けたのと同じような心的外傷を子どもたちにもたらしていることが米国の調査研究でわかっているからです。わたしは子ども時代に親のDVを見て育った人たちにも数多く出会ってきましたが、虐待を受けた人と変わらぬ深刻なPTSD症状に苦しんでいる人が少なくありません。

要点【3】

改正の必要な第三点です。

虐待が起きていることを把握していても、親子分離に親が同意しない場合の対応の困難さはすでに充分論議されて来たことです。

<親によって虐待されている子どもの身上監護権を一時的に国または地方自治体があずかる>+< 虐待している親にケア受講命令を出す>+ <家族再統合の基準を設定し判断する(すなわち措置解除の基準と判定)>。

この三つを裁判所の迅速な判断で行うシステムは、被虐待児へのケア、親へのケアを実現するために不可欠です。こうした判定を児相がするのではなく、裁判所が迅速に判断し、児相がモニター、フォローする。裁判所の関与によるこのシステムがないということは、現場でのさまざまな試みと努力の土台がないということです。

児相でも施設でも、熱心な職員は、心身すりへらして、工夫をこらして一つ一つのケースに対処しています。それは身近で見ている者にとっては、懸命な苦闘の連続です。そういうなかで、児相や施設では燃え付きてしまうワーカーの数がふえています。土台のない所でなされるこの方達の貴重な努力は、10年後、20年後に実りあるものへと積み上げていくことにならないのです。

DV防止法では、保護命令を裁判所が出す法制化に成功しました。おそらく省庁からの抵抗を乗り越えての法制化でたやすくできたわけではないと想像しています。DV法の立法に尽力した人々の経験と知見を児童虐待防止法の改正にあたって借りる必要があります。

人権という概念が200年以上前に生まれて以来、最初は西欧人の男性の健常者のものでしかなかった人権を少しずつより多くの人が、女性が、非西欧人が、障害のある人たちが、少数民族が獲得して来たのが、過去200年の人類の歴史でした。子どもの人権の保障はおそらくその最後の壁なのでしょう。

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