「ALOHA」はいのちの多様性を讃える言葉

月刊「部落解放」連載Diversity Now第7回 2018年2月号掲載 編集部の許可のもとに転載

森田ゆり(作家)

  
「アロハ」という言葉。ハワイの挨拶として世界中の人に知られていますが、本来のハワイ語のアロハは挨拶にとどまらない奥深い意味を持っています。ハワイ先住民の人たちは、それを彼らの生き方と精神性を体現する言葉として大切にしてきました。
 
一九九三年一一月二三日、当時のアメリカ合衆国大統領クリントンは、ハワイ先住民への謝罪決議(公法一〇三-一〇五)に署名しました。その内容は、一八九三年一月一七日を、ハワイ王国転覆一〇〇年記念と認め、アメリカ合衆国がハワイ王国を転覆させ領土化したことに対して、先住ハワイアンに謝罪するというものでした。
 
アメリカ合衆国の植民地支配によって、先住ハワイアンは言語をはじめとする自分たちの文化の継承を断絶させられました。しかし一九七〇年代以降、ハワイアンの言語と伝統文化の復活が活発に展開しました。一九七八年にはハワイ語を英語と並ぶ州の公用語とする州法が制定されました。

アンティ・ピラヒ・パキの詠唱

ハワイアンの教育者・精神的リーダーのアンティ・ピラヒ・パキ(パキ叔母さん)(一九一〇-一九八五)は、一九七〇年八月に開催された「二〇〇〇年へ向けたハワイ知事会議」で、壇上のパネリストたちがアロハの定義を論じている時に、聴衆のなかから立ち上がり、まずアロハの精神を保持し続けて来たクプナ(elder 先達)たちに感謝を捧げた上で、次のアロハの詠唱を発表しました。

Oli Aloha アロハの詠唱

Akahai e na Hawai   ハワイの人々よ、思いやりを
Lokahi a kulike 助け合うことでハーモニーが生まれ
‘Olu’olu ka manao 心を明るく保ち
Ha’aha’a kou kulana 謙虚さを忘れずに
Ahonui a lanakila これらを忍耐強く保持すれば生命は光に満ち溢れる
(発音は、http://www.realhula.com/aloha-hawaii.html)
 
ちなみに語源は、「ALO-アロ」は「~の前に」、「HA-ハ」は「聖なる呼吸、魂」。あなたは聖なる息の前にある。
 
参加者は深く心を揺さぶられ、多くが目に涙を浮かべていました。それは一〇〇年間にわたって、蔑まれ、否定され続けてきたハワイアンとしてのアイデンティティを取り戻した喜びの瞬間でもありました。さらにパキ叔母さんは「世界の平和を求める人々はやがて、ハワイに目を向けるでしょう。なぜなら、ハワイにはその鍵があるからです。その鍵こそが『アロハ』です」と予言しました。
 
以来、この詠唱はハワイアンの伝統的アロハスピリットを伝える唄としてハワイアンの間だけでなく広く知られるようになりました。
 
ピラヒ・パキは一九一〇年にマウイ島のラハイナで生まれました。ハワイアンの言語と文化が最も抑圧、否定された時代でした。しかし彼女の祖父、父たちは日々の暮らしのなかでそれを見失うことはありませんでした。成人したパキに一人の老人との出会いがありました。「あなたが来るのを待っていたよ」と老人は言い、さらに「私が持つ全てをあなたに授けよう。それを受け取りたいか?」と聞きました。パキは「NO」と答えたといいます。老人は彼女の手をとり祝福しました。その時彼女はまるで全身に電気が走ったようなショックを感じました。彼女はMANA(魂)を受け取ったのです。その時から彼女は失われつつあった先住ハワイアンの言葉と文化の保持と再興に尽くすことになります。

多様性を誇るハワイの文化

ハワイ諸島は、アメリカでも最も民族多様性が複雑であることで知られています。前大統領のブラク・オバマがハワイでケニア出身の父と白人のアメリカ人の母との間に生まれ育ったように、ハワイ人、ポルトガル人、中国人、韓国人、ベトナム人、白人および日本人を含む混合民族グループは全体の四分の一です。ハワイでは混血をハパと呼び、ハパ文化を誇りにしています。
 
最大の人種グループはアジア系(フィリピン、日系、中国系、韓国系、ベトナム)で約四〇%。先住ハワイアンはカマアイナと敬意を持って呼ばれ一〇%を占め、白人はハオリと呼ばれ、ハワイ人口の約四分の一です。

セクシュアリティの多様性においても、一九七二年に世界で最も早くに同性婚が合法化されたのはハワイ州でした。

ハワイ島でヨーガを教える

私は、二〇一二から一四年にハワイ諸島最南端のビッグアイランド・ハワイ島に住みました。
 
ハワイ島北部には、ハワイ諸島最高峰標高四二〇〇メートルのマウナ・ケア山がそびえています。マウナ・ケアはハワイ語の白い山の意味、冬になると山頂が雪で覆われるからです。古代より聖地としてハワイアンの祈りの儀式が行われて来ました。眼下で刻々と変化する雲海の色の流れを見ながら、ハワイアンの祈りと詠唱のリズムに身を委ねていると、ハワイアンの人々が伝統の言葉と祈りを保持し続けて来たことへの感謝で心が満たされます。
 
マウナ・ケア山への登り口にある町ワイメア、信号が一つしかない小さな小さな町が私の町でした。そこにTutuハウスがありました。tutuとはおばあちゃんという意味のハワイ語。そこでは、ヨーガや気功や太極拳、マッサージ、整体、ハワイアンの精神性、フラカヒコ(古典フラ)、マインドフルネス、発酵食品の作り方、環境問題や平和の活動などのワークショップが毎日開催されます。全て無料です。ワークショップを提供するほうもお金を徴収することはできません。
 
ここで、私は出会ったばかりの老女から「あなたヨーガのインストラクターにならない?」と声をかけられたのです。ヨーガは自分の健康のためにすでに五年ほど続けていましたが、インストラクターになるつもりはまるでありませんでした。しかしその不思議な老女の縁で、結局私はアメリカンヨガ連盟の認定インストラクターとなり、3ヶ月後にはTutuハウスで教え始めました。

ALOHAの教えに導かれたヨーガ

私の最初のクラスに来てくれたのは、九〇歳代から八〇歳代の高齢者たち。膝が曲がらない、転倒して腰を打った、車椅子から離れられない、メンタルがひどく落ち込んでいて自殺念慮がある方などに向けて私のヨーガクラスは始まりました。そのことは私のヨーガクラスの方向性を決めることになりました。
 
心身の不調に働きかけ、本来の生命力を引き出すエンパワメント・ヨーガ。ハワイアンはその本来の生命力をMANAと呼び、後に紹介する「光の器」の儀式の伝統を保っています。
 
教えることになってからは、どのようにヨーガクラスを構成するか、何をどう教えるか、私の頭と身体は寝ても覚めてもそのことでいっぱいになりました。こうして一ヶ月後にあらかたの基礎が出来上がったのがALOHA HEALING YOGAでした。
アンティ・ピラヒ・パキによるアロハの詠唱に埋め込まれた5つの叡智がこのクラスをガイドします。
 
ALOHAのAKAHAI 優しく、思いやりあるヨーガ。比較と競争をしません。自分の体と心に優しいヨーガです。そのために自分の体の声を聞けるようになってください。いつも自分の内、呼吸と身体に意識を集中します。
 
LOKAHIのユニティー、つながり。サンスクリット語の「YOGA」とはつながるという意味。「LOKAHI」と同義語です。自分の身体と心と思考と魂とがつながる。自分と大地(アイナ)と天(ラニ)とがつながる。
 
‘Olu’Olu 誰もが幸せになるために生まれてきた。今を幸せに、明るい心を保持します。
Ha‘aha’a 謙虚さ 大地(アイナ)と天(ラニ)、自然への謙虚さを忘れません。
Ahonui いのちをケアするためには忍耐心と持続が不可欠。ヨーガを毎日する持続の心

このALOHAチャント詠唱で終わるALOHA HEALING YOGAは以来、今日に至るまで私の毎日に欠かせないものとなりました。
 
私自身が日本での仕事の中で心身の不調をきたしたために、ハワイに移住したのでしたが、毎日のヨーガで私の健康はみるみる回復しました。

ヨーガの叡智を日本の子どもたちに

ヨーガという四五〇〇年の人類の平和の叡智を日本の子どもに手渡すという新しいビジョンが私のなかで生まれました。二〇一四年に日本に戻り、子どもに教えるALOHA  KIDS YOGA™を開発し、家庭の事情や虐待などで家族と離れて暮らす、社会的養護の下(児童養護施設、児童心理治療施設、自立支援施設)の三歳から一八歳の子どもたちに教え始めました。虐待のトラウマのある子、自閉症やADHDのある子には、ヨーガは特に効果を発揮しています。
(その詳細は本連載第3回「脳神経多様性か自閉症スペクトラムか」「部落解放」2017年10月号を併読)
 
同じビジョンを分かち合える人びとを増やすために、二〇一五年からはALOHA KIDSYOGA™リーダー養成講座を横浜、関西、北海道などで開催しています。すでに約六〇人のALOHA KIDS YOGA™認定リーダーが誕生し、各地でヨーガを教え始めています。こうした活動が認められて、ALOHA KIDS YOGA™は二〇一六年度のアメリカンヨガ連盟のYouth Development Awardを受賞しました。
 
私が直接教えるクラスだけでも、週に五日、一〇クラス。全てのクラスは最後にアンティ・ピラヒ・パキが残してくれたOli Alohaを詠唱して終わります。
 
インド北部のインダス文明の中で四五〇〇年前に生まれたヨーガと、AD250年頃にポィネシアからやってきてハワイ諸島に住み始めた先住ハワイアンが大切に伝え続けてきたALOHAスピリットを次世代に伝えていく喜びを噛みしめています。

光の器……MANA(マナ)を伝えるハワイアンの伝統

ハワイアンの古来の文化では、子どもが生まれると、コアの木(勇気・勇者の意味)で器を彫って与えました。
 
「これはあなたの光の器だよ」と。「でも成長するにともなって、時に自分の光が感じられなくなる時があるだろう。それは、器の中に一つ二つと石(pohaku)執着をため込んでしまったためだ。
 
それらのたくさんの石(pohaku)は、一気に捨ててしまえばよい。そうすれば器の底に生まれながらの光MANAが輝いているのを見るだろう」と。

サブコンテンツ

このページの先頭へ